気まぐれ日記 08年1月

07年12月はここ

1月1日(火)「今年もいいことあるぞ・・・の風さん」
 昨夜つまり大晦日の夜も11時まで書斎で仕事をした。階下へ降りたら、テレビは次女が占領していてバラエティ番組を見ていたので、ワイフは物足りなさそうにしていた。やはり紅白歌合戦を見て年の瀬を実感したかったのだろう。我が家は部屋数は多いがテレビの台数は極端に少ない。私がテレビを見ないせいだ。80歳過ぎたらのんびりテレビを見る生活に入れるかもしれない。いや、その前に過労で死んでいるか。
 新年になったので、ワイフとスパークリングワインで乾杯した。それからやっとテレビがフリーになったので、1年ぶりくらいにDVDを観た。それだけ超多忙な日々を過ごしてきたわけだ。
 そして迎えた元旦の朝。何とか寝坊せずに起きて、恒例の初売りに単身出発。車で30分ほどのところにあるスーパーへ高崎達磨を買いに行ったのだ。1回300円の三角くじになっていて、6段階の大きさの達磨が当たる。新刊が出せるたびに達磨に目を入れているので、両目ぱっちりの達磨が6個も書斎にある。今年はそれを2個増やしたいとたくらんでいるので、くじを2枚引いた。
 なんと、1等と2等が当たってしまった。気持ち的には4等が2本でいいと思っていたので、ビックリである。売り場のおじさんから「ダンナさん、宝くじ買ったらいいよ〜」と祝福された。
 帰宅して、昨年、何年ぶりかで購入した年末ジャンボ宝くじの結果を新聞でチェックした。当選はしなかったが、あちこちの数字が近く、100万円は本当にかすっていた。精進すれば、きっと今年も良いことがあるだろう。
 雑煮を祝って、昨年五大路子さんから頂戴した土佐のお酒でいい気分になってから、ワイフと地元の神社へ初詣に出かけた。空は晴れ渡っていたが、風が冷たかった。
 ニ礼ニ拍手一礼。今年は無心で祈りを捧げた。
 帰宅し、ひと眠りしてから、早速執筆開始である。

1月2日(水)「今日は執筆に専念・・・の風さん」
 いちおう休みなのでたっぷり睡眠がとれる。ということは朝起きるのが遅い。
 今日はどこへも出かけずに書斎で執筆と決めている。年賀状書き以外の用事はしない。
 長女は名古屋から帰って来ないが、今夜は残りの家族4人がいちおう揃っているので、焼肉パーティをした。牛肉を1kgも奮発した。ビールを飲んだので、すぐには仕事にならない。1年ぶりくらいでPSPでルミネスをやった。面白かった。集中力の鍛錬になるかも。しかし、老化している人間には集中力よりも基礎体力の方が必要だ(笑)。
 酔いが醒めたところで読書をし、就寝前にリキュールのベネディクティンのお湯割りを飲んだ。ハーブのたっぷり入ったベネディクティンは、飲むと元気が出る……ような気がする(笑)。

1月3日(木)「今年最初の映画鑑賞・・・の風さん」
 どうやら寒気は去ったらしい。まずまずの天気である。気圧計も1014hPaを指している。
 当然朝から執筆を続け、午後2時過ぎの電車で名古屋へ出かけた。家でじっとしているのは体によくないので、今年最初の映画鑑賞である。
 当初「AVP2」を観ようかと思っていたが、急遽「中国の植物園の娘たち」という映画に変更した。ネットで確認してとっても映像がきれいそうだったから。
 小っちゃな映画館だった。50人も入れば一杯になりそうだった。
 ベトナムで撮影したというロケ映像は本当にきれいだった。風景だけでなく、不思議な街の風景もレトロな感じが良かった。それだけが価値があり、肝心のストーリーや登場人物の魅力はさっぱりだった。俳優の個性やマスクは文句なしなのに、そこから魅力を引き出せていないのは、すべてに不自然な演出の下手さだろう。台本もなっていない。それぞれのキャラの言動に納得性がないのだ。
 怒りんぼうのチェン教授のセリフがワンパターンで馬鹿じゃないかと思う。いやしくも大学教授ではないか。娘のアンの性格が把握できない。特異な育ち方をしていた筈なのに。孤独だったと言いながら、普通の女性に見える。孤児院で育ったミンの暗さと賢さが表現できていない。それどころか頭の弱い女のようだ。息子で軍人のタンの素朴さは役者の風貌だけだ。父親のチェン教授にミンと結婚しないかと言われてすぐその気になる理由が理解できない。そもそもアンとミンが愛し合うようになってしまう必然性が感じられない。一緒に仲良く植物園で働くだけで愛情が芽生えるとしたら、それはもう単に二人ともそういうものを生まれながらにして持っていただけということになる。動物的であって人間的ではない。
 あそこまで徹底していい加減だということは、監督は人生を何も分かっていないということだろう。しかし、こういう作品を鑑賞してあれこれ考えるのも勉強にはなる。

1月7日(月)「原稿執筆と会社モード復帰・・・の風さん」
 今朝の1時半、とりあえず岩波科学ライブラリー向け原稿の本文を送信した。本文と書いたのは、写真がたくさん挿入される予定だが、まだそれらの選定が終わっていないからである。小説でない本の出版は初めてだ。文章だけで描写していく小説とは違って、図表や式、写真、何でも入れて読者の感動を増幅させることができる。そうは言っても、先ずは本文である。
 4日から昨日まで、毎日執筆専念だった。並行して雑多な仕事も片付けたかったができなかった。それができるくらいなら、気まぐれ日記の更新だってできた。実は、これを書いているのは12日(土)午前である。連休最後の3日間は、気持ちが悪くなるくらい原稿の完成に注力していた。
 やっと本文がそろったのは5日である。印刷してみたら、各章ごとの分量がひどくアンバランスだった。
 ……ちょっと脱線するが、アンバランスと書くと、日本人には通じるが、英語表現としてはあまり適切ではない。アンバランス(unbalance)は「不釣合い」という名詞または「均衡を破る」という動詞で、形容詞にするならアンバランスト(unbalanced)である。ただし、アンバランストは、メンタルな意味で使うのが一般的だ。一般的な「不釣合いな」を意味する形容詞はインバランス(imbalanced)である。しかし、不釣合いとはそもそも2つのモノの均衡がとれていないことをいう。3つ以上の章の分量がそろっていないという今回の場合は、イレギュラー(irregular)かアンステディ(unsteady)を使うべきだろう。ところが、各章ごとの分量がひどくイレギュラー(またはアンステディ)だった、と書いた瞬間、日本語でなくなってしまうのだ。執筆の作業の一側面は、こういったことを検討するのに似ている。客観的な文章を作成する作業なのだ。これに集中していると、気持ちが悪くなる(吐き気がしてくると言う方が分かってもらえるかもしれない)。……かなり脱線してしまった(笑)。
 昨日は、主にそのバランス取りをしながらの作業だった。
 今日から会社勤務が再開した。年末年始は自宅で全く会社の仕事をしなかったので、頭を切り替えるだけでも至難の業である。朝一番の社長の年賀放送を聴くのから始まって、私の職場が含まれるセンターの年賀式(本社)に出席し、夕方には自職場の年賀式(製作所)を開催して、どうにか会社モードに復帰した。頭が切り替わってしまうと、早速、残業だった。
 夜は、昨日までできなかった図や写真の整理をした。データ量が膨大になってしまったため、メール添付での送信は断念した。CDに焼いて渡すことにした。

1月9日(水)「終盤戦と序盤戦・・・の風さん」
 昨日も朝から夜まで会議の連続で、帰宅が遅くなってしまった。
 会社モードに完全復帰して喜んでいる場合ではない。もう一つ、学業モードにも復帰しなければならないのだ。会社生活28年の集大成なので、会社とのつながりは密接である。昨年の小樽での学会発表当時の意識に戻しつつ、再スタートを切るための準備をしなければならない。
 残業をしてしまったのはそのためで、論文などを引っ張り出して眺めたり、指導教官の工場見学の段取りをしたり、一つずつ着実にこなしていったのだ。
 そして今日は、東京出張だった。職場で担当している仕事関連業界の年賀式に出席するためである。
 めったにない美味しい出張で(立食パーティがあってタダで食べられるという意味だけではない)、帰るまでに時間がある。岩波書店の部長と会って図や写真の入ったCDを渡しつつ、今後の打ち合わせをした。私が第一稿の提出締め切りの再延長をお願いし、それを受け入れてもらう代わりに、ゲラが出来てからの著者校正は短納期となることを承諾した。刊行は3月とのこと。
 さらに東京駅を出発する前に、新たなオファーをしてきた出版社と打ち合わせた。既に企画は通っているとのことで、先方の出版の狙いを詳細にうかがいつつ、私のアイデアも提案して了解してもらった。スケジュールも時間が欲しいので、とりあえずは今年11月中旬刊行を目指すことで合意した。
 帰りの新幹線では、持参のアシュレイ(モバイルパソコン)を開いて、原稿作成の続きに専念。終盤戦に突入である。しかし、これが終わるとすぐ、次の原稿の序盤戦が始まる。

1月11日(金)「今日は何曜日?・・・の風さん」
 腰痛のためにずっと鎮痛剤を飲み続けてきたが、一昨日からそれも切れた。薬がなくなったのだ。連休の最後の方では、何とか痛みがとれていたので、就寝前に腕立て伏せをして筋力アップも試みていた。しかし、こう毎日多忙と過密スケジュールが続いていると、いつまた再発するか分からない。フラフラ状態で週末に突入してきた。
 昨日は、帰宅したら、大野優凛子さんの新刊本が届いていた。ワイフがぜひ読みたいと言っていた『女はタイで美人になる』(アーカイブス出版)である。タイトルからして何やら意図が見え見えではあるが、冒頭から意表をついている。姪御さんと初めてタイに行ったとき、象に乗って散歩に出たそうだ。観光客相手のアトラクションだろう。一列縦隊で雑鬧(ざっとう)を進む。以下は、本文から、
「……私たちの前を歩いていた象が突然、止まった。
 何事かと思ったら、目の前で大きなお尻をぶよん、ぶよんと左右に揺さぶった。
 ぼっとん、ぼっとんと不快な音が2度、つづいた。
 そして、現れた巨大なウンコ。
 ほかほかで湯気まで見える。もちろん、臭う。……」
 美しい女性の文章とも思えない、迫真のリアルさである(笑)。
 昨年8月に松山でちょっとだけお会いしたのだが、大野優凛子さんは相変わらずお元気だった。その新作であり、今年の活躍が期待される。ワイフはもうその気になっていて、
「今度はタイに行こう」
 と張り切っている。
 しかし、当方は、原稿執筆から会社の仕事から学業まである。
 今日も音声多重放送ではないが、マルチに動き回って、やっと午後7時にひと息ついた。目の前の会社の同僚に向かって、
「ところで、今日は何曜日だっけ?」
「金曜日ですよ。週末……週末だから朝から今日は早く帰ろうと思っていました」
「……」
 といった具合で、曜日の観念も薄い風さんなのだ(単にボケているだけとの声も高いが)。
 
1月12日(土)「家族それぞれの土曜日・・・の風さん」
 昨夜から長女が帰省している。帰省といっても名古屋に住んでいるので、距離的にはすぐ近くである。しかし、社会人としてついに年を越した。これは快挙である(笑)。黙っていても、子供はどんどん成長するようだ。必要な時だけ支援するようにしよう。
 ……と、せっかく長女が帰っているのに、昨夜の私は疲労でダウンしてしまった。多忙な1週間だった。特に、岩波科学ライブラリー向けの原稿が最終コーナーに突入していたし、年が明けて学業復帰態勢に入ったので、これも大変だった。そんなこんなで、やっと帰宅して夕食を摂ったところで、もう体力が残っていなかった。その間に長女が帰宅したのだ。腰が少し痛い。
 今日は、とにかく当面の原稿を仕上げようと、朝から書斎に籠った(昨日までハードな仕事をしていた長女は久しぶりの寝坊である)。その間に雨が上がって、天気が回復してきた、が風が強い。
 気持ちとしては、夕方までに原稿を完成させたかったのだが、出来なかった。
 夜は、長男がバイトで、次女も帰りが遅いとのことだったので、3人で近くのレストランへ食事に出かけた。拙宅は知多半島の伊勢湾寄りにある。反対の三河湾寄りにあるイタリアンレストランへ行った。観光地に住んでいるのだが、さすがに冬は人出が少ない。レストランも空いていた。
 帰宅してから、執筆の続きをやった。終わったのは午前零時半頃だった。
 明日から勤務が始まる長女は既に自室へ入って休んでいた。
 ワイフは庭のログキャビンで明日のトールペインティング教室の準備である。
 長男はバイト先から送別会へ行ってしまい、今夜は帰宅しないとのこと。
 遅く帰宅した次女は、入浴してもう寝たらしい。明日も部活があるらしい。
 家族それぞれが精一杯の人生を歩んでいるのかもしれない。

1月13日(日)「ひと山越えて・・・の風さん」
 青空が広がっているが、あいかわらず風が強くて冷たい。まだまだ冬の寒さはこれからだ。油断してはいけない。
 昨夜完成させた原稿を送信した。同時に、たまっていたメール連絡をあちこちへ送った。返信が届くまでがホッとできる時間である。同時に、自宅でも学業に専念できる態勢の準備に着手した。5月の学会発表まで着実に進めていかなければならない。論文の準備もしなければならない。
 昨日までで年賀状も一段落したようだ。さすがにもう来ない(笑)。毎年知り合いが増えるので、少しコントロールしないと年賀状の準備が大変である。もう昨年ぐらいから、自分でやるのが限界になってきた。いくらパソコンやプリンターがあっても大変である。1日仕事になっている。ということは、1年の365分の1の時間を費やすわけで、これはもう何をやっているのか分からなくなってしまう。今年は、コメントを書き込む必要がないように、標準パターンの年賀状の中に長い文章を入れた。来年はもっと工夫が必要だ。
 購入した本もかなり溜まっている。何とか読みたい。
 
1月14日(月)「通常の生活に復帰するぞ・・・の風さん」
 今朝はこの冬初めて氷点下にまで気温が下がった。
 世間は祝日だが、完全週休二日制の勤務先は通常勤務である。
 ひと山越えた風さんとしては、会社の仕事や学業に身を入れねばならない。
 出社し神棚に参拝し安全祈願をして1日が始まった……が、怒涛の1日だった。
 どんなに計画をきっちり立てていても、必ずと言っていいほど、トラブルに見舞われる。それをテキパキと解決してくのが、会社の仕事なのだから仕方ない。

1月15日(火)「新鷹会から遠ざかる風さんの巻」
 出勤時に、ミッシェルのオドメーター(走行距離計)をチェックしながら、トリップメーターを操作して、ゼロリセットした。約2週間後の楽しみができた(内容はヒミツ)。
 出社し、久しぶりにラジオ体操をしたら、腰が痛い。やはり何か異常がありそうだ。
 今日も会社では怒涛の1日。
 帰宅して、眠気を払いながら学業。
 今日、代々木八幡では勉強会の後、恒例の新年会になっているだろう。どんどん縁が遠くなるな。

1月16日(水)「下品な文学賞、でも欲しいな・・・の風さん」
 午前中は、親しい製造部長が職場に来てくれたので、現場を案内した。いつも拙著を購入してくる方だが、最大の思い出は、一緒にヨーロッパ出張した時、休日、バルセロナにある地中海岸近くのレストランで二人でワインを2本飲み、べろんべろんに酔っ払ったこと。あんなに気持ち良く酔ったのは、生涯に2度とないほどだった。日中、観光して見て歩いたガウディの建築も、酔いを促進したのかもしれない。
 午後は、会社の上司(重役と理事)によるご指導会があり、皆がんばってくれたので、まずまずの評価が得られた。19日(土)には、また上司を交えた新年会があるので、そのための良いステップとなった。
 夜、ネットで確認したら、芥川賞と直木賞の結果が出ていた。また、直木賞受賞作品が文春出版の本だった。こういうことが続き過ぎると、直木賞の名称を変更した方がよいのではないかと思ってしまう。もちろんその名称は、文春出版賞だ(笑)。鳴海風の候補作品(への挑戦)は、今年も来年も無理かも。

1月17日(木)「昼寝のために帰宅?・・・の風さん」
 19日のゼミへ向けて、全く学業に専念できないため、午前中に1日分の仕事をして、昼食後帰宅した。自宅で勉強するのである。
 ところが、すっかり疲れてしまい、とりあえず昼寝(笑)。その間に、ワイフは買い物へ。
 電話の音で睡眠を破られ、宅配便がやって来て、代引きだったので、代金を支払って受け取り。
 直後、ワイフが帰宅して雑談。談論風発になって、そのまま夜の帳(とばり)が降りてしまった。
 結局、昼寝のために帰宅したのか、オレは?
 
1月18日(金)「英語の論文解読に電子辞書首っ引き・・・の風さん」
 昨日、午後有休にしたのは、19日のゼミのために論文を読んでおきたかったからだ。
 しかし、……できなかった。色々と妨害があったことは昨日書いたが、実は、会社から脱出してきたにもかかわらず、会社の仕事もしていた。
 別に自慢できることではないが、いちおう勤務先では管理職なので、自宅でも会社のメールを読むことができる環境を整えている。仕事の途中で無理やり帰宅したので、重要なメールが飛び込んでいないか、帰宅してからもメールチェックしていたのだ。はたして、翌日までに処置しなければならないメールがあった! ……。
 今日は東京出張だった。昨日できなかった論文(英語で27ページもある)読みをするため、電子辞書持参で家を出た。
 最寄りの駅から名古屋まで、名古屋から東京まで、東京で仕事が始まるまでの食事中も、ずーっと論文読みを続けた。失敗したのはシニアグラスを忘れたことで、小さなアルファベットを見ていると、目が痛くなるし、すぐに眠くなる。ちっとも効率が上がらなかった。
 重要な任務を終えて、帰りの新幹線でも論文読みを続けた。
 今夜は、名古屋で部の新年会だった。今年、所属している部が、他の組織からの転入者が多くて、巨大な組織となった。新鮮なスタートを切るために、上司である役員や理事も同席して、盛り上がるはずだった。いや、きっと盛り上がっていたに違いない。しかし、ゼミを明日に控える私は、酔っ払っているわけにはいかなかった。
 新年会が終わって、帰りの電車の中でも論文の続きを読んだし、帰宅して寝る前の時間も辞書を引き続けた。決して難しい文章ではないのだが、とにかく分量が多くて先に進まないのだ。

1月19日(土)「まだまだ幸運の女神がついている・・・の風さん」
 やや寝不足だったが、目が覚めたので起きた。
 ゼミに出発前にも論文を読解しようと励んだ。そして、名古屋までの電車の中でも、論文を膝の上に広げ、電子辞書の助けを借りた。それで、何とか全体の3分の1まで把握することができた。
 近くで昼食をさっと摂ってから、本山キャンパスに入った。事務室でPCとプロジェクターを借りて、ゼミ室へ行った。
 ゼミは私の希望通りにやらせてもらった。私が英文を一文ずつ読んですぐそれを訳す。間違いがあると大野先生が指摘する。論文の中にある図やグラフは小さいので、私がスキャナーで取り込んだ画像ファイルをプロジェクターで大写しにして、二人で眺めながら議論する。こうして、マンツーマンで4時間みっちりとやった。喉ががらがらになるほどだった(笑)。これほど夢中でやっても、事前に読んだところまでたどり着けなかった。とにかく分量が多いのだ。
 今夜は職場の新年会だったので、ゼミを切り上げ、会場となっている本社のある市へ向かった。
 昨夜に続いて、役員と理事も出席である。
 あらかじめビンゴゲームがあることが分かっていたので、盛り上げようと、同点決勝用にぶっかけっこゲームマシンを持参した。相手の口の中に白い砂粒を入れて、早く引っ繰り返した勝ち、というゲームである。
 年明けからつきまくっている風さんは、今日もまんざらでもない予感があった。
 今夜のビンゴゲームは2列そろってやっと上がり、という長期戦だった。
 さすがにリーチトップは無理だったが、順調に穴が開き、4位か5位のあたりで見事にビンゴとなった。……が、同点者がいた。最初のぶっかけっこゲームである。私はコツを熟知しているので、絶対に勝つ自信があった。そして、見事買った。商品は簡易加湿器だった。
 役員と理事も同時にビンゴとなり、ぶっかけっこゲーム対戦となった。役員が買った。
 帰宅し、就寝前のワインが美味かった。

1月20日(日)「長男の大学の作品展見学・・・の風さん」
 夕方から降雪の予報が出ているくらい寒い日だった。
 長男が通っている名古屋芸大デザイン学部の展覧会「REVIEW」を観に行った。
 大学は名古屋の北、西春というところにあり、ミッシェルで知多半島道路、名古屋高速を突っ走った。片道約65km、1時間ほどで着いた。
 長男は1年生なので、先ず1年生の作品を見学した。7クラスあって、結局全部観たが、同じ1年生でも力の差が随分とある。長男の展示の前後の学生は、なかなかの出来で、非常に感心した。緻密で繊細でよく考えられた作品ばかりであり、日本の未来は明るいと感じた。
 2年生や3年生の作品も観たが、ジャンプに掲載されている漫画を描いている学生もいて、あなどってはいけない大学だと思った(どういう意味だ?)。
 帰路は、有料道路をやめて、一般道を通って帰った。2時間近くかかった(笑)。
 雪はまだ降らない。

1月21日(月)「とんでもない1日・・・の風さん」
 今日は月例の総合病院通い。診察予約時刻が遅いので、駐車場が混んでいるのが心配だが、読みかけの文庫を持参して、のんびりやろう。終わったら、家で溜まっている雑用を片付けねば……。
 ミッシェルで病院へ向かう途中、昨夜用意した郵便物を二つ、コンビニで投函した。
 ミッシェルでのんびり走っているのだが、今日はやけに振動を感じる。昨日、久しぶりにワイフを乗せてロングドライブをしたので、ワイフから「クルマが分解しそうだ」と何度も言われた。たまに乗る人間からすれば、ミッシェルの振動と騒音は、故障か寿命を連想して怖いのだろう。人馬(車)一体感を心地よく思う風さんにとって、ミッシェルの振動は全然気にならなかったのだが、指摘されると気になり出すから人間とは弱い生き物だ。ミッシェルのオドメーターは12万キロを超えて久しい。
 病院は信じられないほど空いていた。順調にステップが進んで行く。昨年来診てもらっている一つの科では、完治宣言がなされた。一方、もう一つの方については、そろそろ年貢の納め時だと思い、手術を仮予約した。超多忙な風さんなので、うまく仮予約した頃に入院できるかどうかがポイントである。
 そうこうしている間に、職場から「出社して会議に出て欲しい」というメールがケータイに飛び込んできた。このときはまだ深刻な事態と思っていなかったので、「しゃあねえなあ」と呟きつつ、昼食後に製作所へ向かうことにした。
 その甘い判断が命取りになった。
 午後2時から始まった会議が、半ばスタミナ切れで終了したのが午後10時だった。
 夕食は、午前零時頃だった。

1月22日(火)「九州出張がかろうじて息抜きに・・・の風さん」
 昨夜の会議の結果によっては、今日の九州大学出張はなかったのだが、何とか予定通り行けることになった。この出張は2度目になる。今回は同僚3人と一緒である。
 自宅からミッシェルでセントレアに向かった。慣れた有料道路である。
 出発前に、気になっていたJALCARDへのマイレージポイントの入力ができた。
 昨日は悲惨な1日だったので、今日こそ、順調にスケジュールをこなさねば。
 福岡行きに乗ったのは、B737−500(126席)で、ビジネス客で満席状態に近かった。
 福岡空港に着くとすぐ昼食だったが、前回は変なレストランで損した気分だった。それで、今回は、インフォメーションでレストラン街のあるフロアを尋ねて、そこへ向かった。
 同僚の提案で博多ラーメンにした。とんこつスープのラーメンに、からし高菜と紅生姜をたっぷりのせて食べた。同僚は替え玉(麺だけのお代わり)を注文した。やるなー。
 目的地での仕事は順調にこなすことができた。
 戻ってきた福岡空港で、お土産も買うことができた。前回は、呼び出しの放送を聞きながら、ロビーから飛行機まで走ったのだ。
 帰りの便の飛行機は、B767−300(279席)で、久しぶりに乗る大型機だった。今朝と同様にビジネス客でほぼ満席状態だった。
 ミッシェルで真っ直ぐ帰宅した。買ってきたお土産がすぐ近所に配られた。

1月24日(木)「奮闘努力の甲斐もなく・・・の風さん」
 昨日は、雨模様の中、先ず本社へ出張した。会議を終えて製作所へ向かい、それから、金曜日の来客対応のための段取りに追われた。
 今朝も、まだ雨がぱらつく天気で、寒い。製作所に着く頃、雨粒が音を立ててミッシェルのフロントウィンドウに当たるようになった。あられである。この冬の初雪だろう。風も強い。
 昼休みに早々と昼食を終えて外出した。3月に出版予定の本は、和算小説の解説本である。和算小説の本の表紙が重要で、私は画像はすべて所有しているが、現物を持っていないものがいくつかある。それらの画像ファイルを提出してあったのだが、解像度が低いという連絡があった。もう一度現物からすキャなーで画像を取り込まなければならない。
 近場の図書館にそれらの本がないか、昨夜調べてみたら、一つ発見できた。遠藤寛子さんの『きりしたん算用記』がH市民図書館に所蔵されていたのである。
 強風が吹いていたが、吹雪はおろか雪も雨も降っていなかったので、とにかく行ってみることにした。
 ナビの誘導でたどり着くことができた。近場とはいえ、初めての図書館である。
 館内のパソコンで蔵書検索をしてみると、確かに所蔵されているし、閉架でも貸出可能となっていた。
 すぐに貸出証の作成を頼んだ。H市の住民ではないが、近隣の都市で働いているから貸出証を作ることができるのだ。従業員証と免許証を提示して貸出証を作り、すぐに『きりしたん算用記』を閉架から持ってきてもらった。何年かぶりに本物と対面できるので、子供のように胸が高鳴る。
 やっと本を受け取り、表紙を見て愕然とした。
 図書館では本を傷めないようにラミネーションがしてあることが多いが、なんと、縦半分しかラミが貼ってないのである。つや消しとつや有りのツートーンの表紙画像では、本物と違い過ぎる。
 とりあえず本は借りたが、落胆して製作所へ帰った。
 夕方から、また深刻な会議が始まって、終わったのが午後10時だった。

1月25日(金)「運も尽きたか・・・の風さん」
 今夜は、名古屋で会社の部次長会である。何と言っても海外旅行が当たる抽選会が楽しみだ。今年こそ、と思う。
 部次長会ではアルコールを飲むので、電車で出社した。今朝もひどく寒い。
 今日は、秋田県庁の知り合いが私を訪ねてくるので、一昨日段取りをしておいた製作所見学案内をすることになっている。
 知り合いは午前10時前に、部下と二人でやって来た。製作所の所長にお願いして、会社と製作所の概要をプレゼンしてもらい、続いて、所内にあるグループ会社へ移動し、そこの社長に工場案内をしてもらった。
 午後にはセントレアから秋田へ帰るというので、私が運転する社有車でお送りした。
 セントレアに着いたら、ちょうどお昼なので、一緒に食事した。昼休み時間なので、私は作家に変身し、大いに宣伝活動を展開した(笑)。
 製作所に戻って、会議に出たりした後、定時後、同僚の運転するクルマで名古屋へ向かった。
 期待の部次長会である。
 名古屋マリオットホテルのタワーズボールルームというでかい会場である。少し到着が遅れたが、すぐに抽選の手続きをして会場に入った。
 こういう時でないと会えない知人らと歓談しながら飲み食いし、抽選の時間を待った。
 いよいよ抽選結果の発表である。
 このところツキまくっている風さんだし、抽選番号には全く不服がないのだが、今日は何となく当たる予感がしない。疲労がたまっているせいだろうか。
 抽選は情け容赦なく進行し、知人が当たって壇上へ駆け上がるのを横目で見ながら、どんどん落ち込んで行った。
 たった2杯のワインで深酔いして風さんは、重い足を引きずりながら、帰りの電車に飛び乗った。
 家で飲み直す元気も出なかった。

1月26日(土)「作家として稼ぎ時の週末・・・の風さん」
 作家として稼ぎ時の週末は、寝坊から始まった(笑)。
 先ず、昨年11月にやった文化講演会の講演録の原稿を仕上げた。これは、昨年末の段階でほぼできていたのだが、「じっきょう」向けの原稿や岩波科学ライブラリー向けの原稿を先に仕上げねばならず、中断していたのだ。東北大学附属図書館の蔵書の画像を使わせてもらうので、掲載許可申請を出してその許可通知ももらってあった。今日は、原稿が完成してすぐ印刷し、さらに使用画像などを整理して、CDに焼いた。あとは、届けるだけである。
 岩波科学ライブラリーでも使用するので、ネット注文してあった遠藤寛子さんの『算法少女』(岩崎書店)が届いた。定価通りである。奥書を見てまた驚いた。1973年が初版で、購入した本は1986年の第7刷だった! けっこうヒットしていたのだ。それでも絶版となって、一昨年、ちくま学芸文庫から復刊されたのである。さっそくスキャナーで表紙の画像を取り込んだ。
 夕食が、久しぶりに手作り餃子となった。これは我が家の味で、風さんは餃子作りが得意である。
 たらふく食べて書斎へ入ってすぐケータイが鳴った。
 ジュンク堂池袋本店からだった。この近代的な書店は、意外にもネット環境が整っていないのだ。それで、よく電話がかかってくる。
 今日の電話の用件は別だが、5月にまたトークセッションをやらせてもらうことになっている。

1月27日(日)「エクセル表はできたが・・・の風さん」
 今日こそは学業に復帰と意気込んだが、結局うまくいかなかった。
 とりあえず、それほど寝坊せずに起床した(ここまでは予定通り)。
 実は、光文社新書から出版企画のオファーがあり、打ち合わせた結果、今月末までに、内容のリストを提供する約束だった。そのリストをエクセル表で作成することにして、朝から取り組んだ。
 取り組み始めると、すぐに凝り出すのが私の悪い癖である。
 あれこれ調べながら、表を埋めていったのだが、ものすごい時間がかかった。とうとう夕食後までかかってしまい、やっとそれを添付した電子メールを送信したところで疲れ果ててしまい、もう一日の幕を下ろす時刻になってしまったのである。
 仕事が順調であれば、ワイフとランチにでも行こうと思っていたが、とてもそんな状況ではなかった。

1月28日(月)「マタンゴの記憶・・・の風さん」
 恐ろしく寒い朝だった。初氷が張ったらしい。
 週明けなのでやや早く出社した。
 日中は仕事がそれなりに進んだ……が、夕方から妖しい風が吹き出して、またまたロング会議となってしまった。終わったのが午後10時である。
 定時後にトイレに行ったついでに、静岡県の鈴木先生に電話して、遠藤寛子さんの『きりしたん算用記』の借用をお願いしておいてよかった〜。何でも仕事が片付いてから、と思っていると、結局できないことが多い。
 帰宅したら、ネット注文してあった本がまた届いた。最近、ろくに読む時間もないくせに、本のネット注文ばかりしている。
 今日届いた3冊のうちの1冊は『マタンゴ』である。これは、子供の頃に映画で観た「マタンゴ」の復活小説本である。
 私の記憶では、嵐に揉まれた船が南の無人島に流れ着く。水と食料を探しに上陸する。奥地で毒々しい色のキノコを見つけて食べてみると美味しい。難破船も発見する。乗り込んでみると、缶詰や瓶詰めなどもあって、何とか飢えをしのぐことができる。やがて、仲間にある恐ろしいことが……。主演は久保明だったかな。ヒロインは水野久美だったような……。
 年賀状がお年玉に当たっているかどうかチェックした。深夜に、である(笑)。
 切手シートが二つ当たっていた。ま、そんなものか。

1月29日(火)「まだ学業に復帰できない風さんの巻」
 昨夜からの雨がまだ降っている。天気が悪いと気分も重い。寝不足で頭も痛い。
 相変わらず学業に復帰できないが、今日は昼休みに図書館へ原稿を届けてきた。ホッとした。昼食はコンビニでパンとコーヒー。
 今日も、会議が長引きそうになったので、その都度制止した。
 帰りにパソコンショップに寄って買い物をした。イライラが募っていると、お金を使ってストレスを発散してしまう。これは困った病気だが、恐らく私の家系のDNAだと思う。こうしてまた稼がなければならなくなるのだ。きっと私は死ぬまであくせくと働き続けていくだろう。
 お手伝いしている森さんの自費出版が、いよいよ大詰めになってきた。来週にも第3校が届き、見積もりも確定する。奥書には6月11日発行と印刷されるが、実際は3月か4月には出来るだろう。わざわざ6月11日と明記するのは、その日が、長谷川伸先生の御命日だからだ。
 できる限り多くの人に読んでもらいたい本だが、ある事情で、おおっぴらにばらまくことができない。

1月30日(水)「天気晴朗なれど、血圧……低し?・・・の風さん」
 4週間に1回の血圧検査を会社の診療所で受けた。上が120台で下が70台という、きわめて正常な値だった。こんなに無茶な生活をしているのに……、不思議だ。
 用事で本社へ行ったので、帰りにK図書館とH図書館に寄って、借りていた本を返却してきた。
 天気は晴朗だが、気温は低い。1年でも最も寒い時期である。

1月31日(木)「アクセスカウンター100000はおあずけ・・・の風さん」
 ようやく08年度の職場の方針を幹部らに説明することができた。会社のビジョンや年度方針、上位組織の運営方針などに基づいて、各部門の年度計画が立案されるのだが、短期間で仕上げるのは難しい。構成員(まるで暴力団だな)一人一人の腹の底に落ちるようにするためには、議論が必要である。その議論を開始するためのきっかけを、今日やっと投げかけることができたのである。
 海外出張中の上司からのメールで、トップへ報告する必要が急遽生じたので、午後、本社へ出かけた。品質の変化に対する報告で、トップから「変化点は現場へ行って直接調べれば必ず分かる」と言われた。確かにそういうものである。しかし、目が節穴では、その変化点に気が付かないのだ。悲しいことに。
 毎年長い1月も、とうとう最後である。
 あまり更新をマメにできなかったので、ホームページのアクセスカウンターの回転もにぶい。目標の100000には遠く及ばなかった。
 
08年2月はここ

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